2014年04月28日

阿修羅ちゃん その7


『阿修羅ちゃん』シリーズを、そろそろ、シメに持ち込みたいと思います。
 (がらがら日記的には、オチ。スキージャンプ的には、チャクチ。落語的にはサゲですかね。)




阿修羅神としては、「マインドコントロールおよび自己陶酔」が許せません。
自分を真実を偽ることは、破壊活動や修羅場を作ることと同義ですし、
究極的には、取り返しの付かない苦痛を呼び込むと予想されます。
未来の進化したアンドロイドも、同様な評価を下しています。

けれど、阿修羅神もアンドロイドも、自分たち自身が幸福になりたいし、
人間および有情の全てが幸福と喜びに満たされるためには、
合理性の追求では限界があることを、揺ぎ無い事実として認識しています。
そして、自分たち自身に欠落しているものが、『愛』であることを発見します。

阿修羅神もアンドロイドも、『愛』を学ぶにはどうすればいいのか、皮肉な結論を出してしまいました。

六道における精神構造上も、リアルな実生活としても、
『人間』として生きることが『愛』を学ぶ上でベストなのではないかと、逆説的な結論を出してしまいました。




阿修羅神もアンドロイドも、ついでにサタンくんまでも、人間として生きることを望み、
一番星の女神様(ちなみに、ピノキオの女神のお姉さん。)に祈りを捧げました。
すると、太っ腹な女神様は、ちょっとおっちょこちょいでしたが、彼らの願いを叶えてくれました。

阿修羅神は、妖怪人間ベム・ベラ・ベロとして転生し、
アンドロイドは、ドラエモンに作り変えられ、
サタンくんは、パズドラ中毒のニートのオッサンに生まれ変わったんだとさあ。

(めでたし、めでたし)








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2014年04月27日

阿修羅ちゃん その6


合理性を追求することが、『阿修羅ちゃん』の特質になります。
『阿修羅ちゃん』は、矛盾や中途半端を嫌います。
『阿修羅ちゃん』は、目先だけの勝利や幸福には満足しません。

「正義」を実現するなら、手段も結果も「正義」を実現する人々も、すべてが「正義」であることを要求します。

「平和」を実現するなら、まず個人が平和であり、その家族が平和であることを要求します。
家族が平和であるためには、隣近所や就職している会社や地方自治体が平和でなければなりません。
そのためには、国家が平和であり、国家どうしも、地球社会全体が平和でなければなりません。
地球そのものも、自然災害や宇宙からの危機や宇宙人による侵略などが、あってはなりません。
すると、太陽系が平和であり銀河系が平和であり、大銀河が平和であり、
さらに、ビッグバンから始まり、宇宙に終焉があっては、「平和」が望めないのではないでしょうか。
・・・・・・・・・ここで、『阿修羅ちゃん』は、虚無感に襲われます。


グレイト・アストロ・ターボ・ハイパー・ミラクル・スーパー・コンピューターを駆使しても、
合理性を追求する『阿修羅ちゃん』は、幸せになれないことになります。

可哀想な『阿修羅ちゃん』。

阿修羅神は戦わずにはいられませんでしたが、
阿修羅神は自分が勝利者になれないことを知っていました。

(つづく)







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2014年04月26日

阿修羅ちゃん その5


阿修羅神の話とベクトルが似ているのが、永井豪の漫画『デビルマン』です。



現在の人間(ホモサピエンス)が地球に繁栄する一つ前の文明でのこと。
地球を創造した神(全宇宙の創造神ではないみたい)は、
デーモン(悪魔)と呼ばれるモンスター種族に、地球を支配することを許しました。
けれども、デーモンが堕落したため、
地球の創造神は、天使と呼ばれる神々に、デーモンの消滅(殺戮)を命じます。
その時、天使の一人であるサタンが、創造神のやり方に疑問を唱え、反発し、
デーモン族の生き残りを賭けて、デーモンと共に、創造神軍団へ戦いを挑みました。

戦いの結果は、サタン軍団が勝利し、創造神軍団を地球から追い出すことに成功します。
けれど、デーモン族は疲弊し、サタンも、長い眠りに落ちてしまいました。
そして、サタンが目覚めたとき、現在の人間(ホモサピエンス)が地球に繁栄していたのでした。

サタンは、現在の人間(ホモサピエンス)がデーモン族よりさらに堕落していることを許すことができず、
デーモンの生存者らと共に、現在の人間(ホモサピエンス)の消滅(殺戮)を実行します。

そしてその時、サタンが人間社会に飛鳥了として潜入しているときの友人であった不動明は、
デーモンの勇者・アモンとの合体に成功して、
デーモン(悪魔)の力を持ちながら人間の心を持つ「デビルマン」として、
人間の生き残りを賭けて、サタン軍団と戦うことになります。

最終決戦・アルマゲドンにより、地球は凄惨な「修羅場」と化し、戦いも終わりに近づいた頃、
サタンは自分が人間に対してやっている行いは、
かつて、創造神がデーモンに対して行ったことと、なんら変わらないことに気付き、
戦いに敗れて死にかけているデビルマンに、涙を浮かべて謝罪しました。

がらがら仙人の記憶によれば、ここで「デビルマン」の話は完結しています。




ようするにですよ、
未来において、人間を自分たちのコントロール下に置こうとしたアンドロイド軍団ではありますが、
サタンが、現在の人間(ホモサピエンス)の消滅(殺戮)を図ろうとするならば、
アンドロイド軍団は、人類の生き残りのために戦ってくれるということですよ。

それが、「正義」ってもんでさ〜ね。

それが、「阿修羅道」を生きるアンドロイドというやつらなんよ。根は、いいやつらなんよ。

アンドロイドが非行に走り、阿修羅鬼に化したとしたら、そりゃあ人間環境がよくなかったんやね〜。

(つづく)







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2014年04月25日

阿修羅ちゃん その4


六道( The Six Realms )につては、もう少し、突っ込みます。(盛ります?)

伝統的な仏教的アプローチとは異なるかもしれませんが、
『タントラへの道』の見解とも異なるかもしれませんが、
業界から爪弾きどころか、洟(はな)も引っ掛けられない「がらがら仙人・語録」によりますと、
六道とは、『心もよう』が偏りがちな人間を傾向別に6種に分類し、それに名前を付けたものです。

   ( 注:「心もよう」は、フォークシンガーの井上陽水が1973年にリリースしたシングルですが、
      この曲が大好きなので、この言葉を使ってみました。 )



地獄界とは、恐怖と苦痛の世界。
餓鬼界とは、不安と渇望の世界。
畜生界とは、自己中心と貪欲と愚かさの世界。
人間界とは、義理と人情の世界。
アシュラ界とは、合理性と虚無の世界。
天国界とは、マインドコントロールと自己陶酔の世界。



我らが「阿修羅ちゃん」、つまり、ロボットが究極進化した未来の「アンドロイド」が背負うテーマは、
「合理性と虚無の歪みから発生する葛藤」ということになります。

神話の阿修羅神は、「正義」という名の合理性を錦の御旗にして戦いました。
しかし、合理性の追求には、虚無が影のように付きまとうことを敗北によって思い知ります。
虚無を拭い去るために、「正義」を守るために、さらに戦いに狂猛・固執しますが、
阿修羅神が勝利することはありませんでした。
(仮に戦いに勝利したとしても、「正義」を守る為の次なる戦いを求めたことは容易に想像されます。)



アンドロイドは、人間によって作られ、「人間の理想」に同化しようとしました。
けれど、「人間の理想」を合理的に追求すればするほど、
「人間の理想」は、人間が存在しないことで実現される・・・・・、それがアンドロイドが出した結論です。

阿修羅神の第3の目に匹敵する、アンドロイドのハイパー・ミラクル・スーパー・コンピューターは、
人類の滅亡・地球の破滅を未然に防ぐためには、
「人間の理想」を合理的に実現するためには、
人間をアンドロイドの支配下に置くことが必要であると判断を下してしまいました。
けして、悪意や愚かさからの結論からではなく、「人間の理想」を合理的に追求した結論です。

目的合理性の為に、とことん戦うのが「阿修羅ちゃん」の「心もよう」です。

(つづく)









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2014年04月24日

阿修羅ちゃん その3


ちなみに、パズドラに、阿修羅は登場しません。
けれど、代わりといっては何ですが、インドの神様で、「破壊神・シヴァ」が登場します。
(もちろん、モンスターとして登場。)
第3の目を持ち、青い皮膚で腕が6本、業火に包まれています。
スキルは、1ターンの間、敵の防御力を0にし、火ドロップの攻撃力を強化します。
リーダースキルとしては、「爆炎の魂」で、火属性モンスターのHPと攻撃力と回復力を1.5倍にします。
さらに究極進化としては、「宿業の破壊神」か「破戒の創造神」となることができます。
冒険チームのメンバーに加えてやっても、損はないヤツです。

ちなみに、パズドラに、「ひじ神様」は登場しません。残念。




さて、『タントラへの道』で、阿修羅界のことを、「妬み深い神々の世界だ」と言う時、
「神々」という表現は、皮肉以外の何物でもありません。
「神々」という言葉を、「モンスター」と置き換えると意味がはっきりします。
さらに、「モンスター」とうい言葉を「人間」と置き換えると、それが究極進化です。

ちなみに、仏教的アプローチでは、人間の精神構造を、心理学的に6種に分類します。
「地獄」・「餓鬼」・「畜生」・「人間」・「アシュラ」・「天国」の6種です。
これを「六道」と呼びます。
人間は、たいがい、「六道の世界」・「六道の精神状態」を輪廻して生活しているという認識です。

がらがら仙人の見解によれば、覚醒したアンドロイドの精神構造は、「阿修羅界」固定となります。

(つづく)



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2014年04月23日

阿修羅ちゃん その2


本当かどうか知る由もありませんが、地獄界の片隅に、「阿修羅界」と呼ばれる異空間があるそうです。
ちなみに、私たちが居住する「人間界」よりは、地下にあるとのことですが、生活水準は高く、
七宝で飾られた衣をなし、百味の食を饗し、娯楽あり、飲酒あり、
入浴や結婚の習慣もあって、小綺麗な金樹・栴檀の並木道には、孔雀や翡翠が馨しい音楽のようにさえずり、
しかも病気もなく、寿命は千歳を超えるとか。

その「阿修羅界」を管理するボスが、われらが「阿修羅ちゃん」というわけです。

( 地獄界の片隅にありながら、地獄とは、えらい違い! )
( しかし、阿修羅は額に眉を寄せ、張り詰めた憂鬱を抱えている! なぜ? )




まあその、いいです、がらがら仙人の30年前のバイブルを紐解いてみましょう。

『タントラへの道』 チョギャム・トゥルンパ著 風砂子 デ・アンジェリス 訳
  副題 精神の物質主義を断ち切って
  めるくまーる社から好評発売中でしたが、ただいま絶版。
  1981年(昭和56年)発売当初は、定価1600円でしたが(この頃は、消費税はなかった!)、
  現在は、アマゾンで、中古品が24800円から購入できます。(税込み、配送料+257円)

  阿修羅界とは、妬み深い神々の世界だ!!

(つづく)






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2014年04月22日

阿修羅ちゃん その1


「阿修羅」は、「修羅場」の語源になった言葉です。
「修羅場」は、見るに耐えないような、筆舌に尽くせないような、悲惨で激しく、ドロドロした戦場です。

しかし「阿修羅」といえば、がらがら仙人が真っ先にイメージするのは、
奈良時代制作といわれる、興福寺の「静かなる苦悩」に満ちた端正な顔立ちの「阿修羅像」です。
優美さを保ちながらも緊張を漂わせ、しかも「三面六臂」という奇異ないで立ち。
泣き出したいような、叫び出したいような、何かに耐えているような、不思議な表情を浮かべています。

この謎に満ちた神秘の仏像を考察しないわけにはいきません。

結論から先に言っておくと、
「阿修羅」の悲しみと苦悩は、
『アンドロイド』の悲しみと苦悩と同質のものではなかったのか!、ということです。





阿修羅は最初、古代インドでは、生命生気を司る善神であったとされます。
しかし、後には堕落して天上界を追われ、「魔神」になったとされます。
仏教に取り入れられる際は、荒々しい心が仏教によって教化され、
迷いから目覚めて愁眉を開き、仏教を守護するようになったとされます。
興福寺の仏像は、恐ろしい顔が浄化されていく、途中経過の表情なのでしょうか。

インド神話の中で、アシュラは「正義の神」でした。
ある日、インドラという「力の神」に、自分の娘が無理やり連れ去られてしまいます。
父親であるアシュラは怒り、インドラに戦いを挑みますが、敗北してしまいます。
しかし、アシュラの心は烈火の怒りにまみれ、何度も何度も、戦闘を繰り返します。
その結果、アシュラは天上界を追われ、「魔神」となって、戦うモンスターになってしまいました。
   ( モンスターという言葉で、「パズドラ」を少し意識してください。)

仏教伝承では、阿修羅は「須弥山」の北に住み、仏教の守護者である「帝釈天」と戦い続けました。
多くは帝釈天の勝利でしたが、阿修羅軍が勝勢になったこともありました。
帝釈天の軍勢は逃げて行き、阿修羅の軍勢が追いかけます。
帝釈天は逃げて行く先で、蟻が行列をなしているのを見つけました。
このまま逃げていては、軍勢が蟻を踏み潰して殺してしまう。
帝釈天は、蟻を助けるために、軍を元の戦場に引き返すように命じました。

けれど、それを見ていた阿修羅の顔が青ざめます。
たかだか蟻のために、軍隊の全滅さえ返り見ないというのか、何故そんなことをするというのだ。
「正義の神」にすらできない行為が、何故ヤツにはできるというのだ。
「慈悲」などという薄っぺらい言葉では説明できない、さらに深い信念ではないか!

結局、阿修羅は帝釈天の軍勢と戦うことをやめ、引き返します。
そして、仏教に帰依し、仏教を護持し、守護するようになったのでした。

(つづく)








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2014年04月21日

やめてけれ


カラオケ ずびずば〜〜〜ぱぱぱや〜〜〜 カラオケ

日曜午後のラジオ番組、TBS『爆笑問題の日曜サンデー』で、この曲が流れました。
昭和45年のヒット曲、左卜全とひまわりキティーズ 「老人と子供のポルカ」です。

娘たち・孫たちの前で、がらがら仙人は大熱唱して聞かせたことがありますが、
やつらはこの曲を知らないそうです、昭和の名曲なんだけどなあ。

そこで今日は、緊急ぶっ込み企画でお送りします。

まずはというか、今日はこの曲を聴いて、終わりにします。
それでは、1番をどうぞ。(作詞作曲、早川博二)



(たすけて-)
ズビズバー パパパヤー

やめてケレ やめてケレ
やめてケレ ゲバゲバ
やめてケレ やめてケレ
ゲバゲバパパーヤー
ラララ ランラン ラララ ゲバゲバー
ランラン ラララ ゲバゲバー
どうして どうして ゲバゲバパパヤー
おお神様 おお神様
たすけてパパヤー



最後に、左卜全さんの絶叫?『たすけてけれ〜〜〜』で曲が終わります。






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