2015年02月11日

がらがら仙人よ、君はチョコレートのために死ねるか!? その2

「お誕生日が来ると、おまえは贈りものをもらったり、お祝いのことばを受けたりするのがならわしだった。
 けれども、このナイニー刑務所から、わたしはなにを贈りものにしたものだろうか?」

ジャワハルラル・ネルーは、1930年代、イギリスからのインド解放闘争に参加し、
マハトマ・ガンジーの不服従非暴力運動にも協力し、彼は何度も投獄されていました。
そして、刑務所から、14歳の娘インディラに世界歴史を語る200通の手紙を送りました。

ジャワハルラル・ネルーは、1947年に独立を達成したインドの初代首相に就任し、
娘のインディラも第5代・第8代首相となるのですが、
父が子に語った世界観が、娘の人生に大きく影響したことは間違いないと思えます。

手紙の中には、昨日紹介した「愛は平和ではない・・・・」の一節もあるのですが、
がらがら仙人には、他に気になる一節もありました。



みすず書房 『父が子に語る世界歴史』 ジャワハルラル・ネルー著 大山聰訳 全8巻 第2巻 より

はじめの頃は「寛容」を大切にしたイスラム教も、そしてまたキリスト教も、いつしか様子を変えてゆく。やってきたのは、宗教どうしの対立と十字軍の時代、あるいは『アラビアン・ナイト』の時代だった・・・・・。



あら、まあ、冷静で平等で見事な洞察力ではありませんか。
がらがら仙人には、どうも宗教戦争というのが理解できません。
どう考えても「神の為の戦い」ではなく、「エゴ人間が神の名を利用している戦い」だとしか思えません。

ジャワハルラル・ネルー氏は最愛の娘に対して、
プロパガンダや宣伝広告に翻弄されない、真実と真理を見る心を育てたかったのだと思います。
それは優しさに満ちながらも、厳しい言葉となって現れています。

くどい・しつこいは承知の上で、再び、昨日と同じ手紙の一節を記載します。



みすず書房 『父が子に語る世界歴史』 ジャワハルラル・ネルー著 大山聰訳 全8巻 より

   愛は平和ではない
   愛は戦いである
   武器のかわりが
   誠実(まこと)であるだけで
   それは地上における
   もっとも激しい 厳しい 
   自らを捨てて 
   かからなければならない
   戦いである
   我が子よ
   このことを
   覚えておきなさい






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2015年02月10日

がらがら仙人よ、君はチョコレートのために死ねるか!? その1

がらがら仙人が中学生の頃、
梶原一騎原作・ながやす巧作画の漫画、『愛と誠』が少年マガジンに連載され、
大ブレイクしました。(1973年連載開始)

少年誌なのに大人向けのように劇画調で、美麗でデフォルメを控えた正統的な画風、
しかも、『愛と誠』という古風な(?)、純文学的で純愛物語的なタイトル、
当時として衝撃的な登場となり、すぐさま、一世を風靡してしまいました。

がらがら仙人は当時、かっこつけすぎなんじゃないかと思っていましたが、
『愛と誠』は、冒頭から、あるいは事あるごとに、
元インド首相ジャワハルラル・ネルーが娘へ宛てた手紙の一部を引用していました。

がらがら仙人も、謹んで、引用させていただきます。



みすず書房 『父が子に語る世界歴史』 ジャワハルラル・ネルー著 大山聰訳 全8巻 より

   愛は平和ではない
   愛は戦いである
   武器のかわりが
   誠実(まこと)であるだけで
   それは地上における
   もっとも激しい 厳しい 
   自らを捨てて 
   かからなければならない
   戦いである
   我が子よ
   このことを
   覚えておきなさい



ところで、ヒロイン・早乙女愛への愛を貫く、眼鏡の優等生・岩清水弘は、
イケメンらしく、しゃあしゃあと、かっこよく、決め台詞を吐いています、「君のためなら、死ねる」と。

がらがら仙人には、早乙女愛に1年分のチョコレートを付けてもらっても無理です、言えません。




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2015年02月09日

バレンタイン新時代

がらがら仙人は、バレンタインの新時代を考察すべく、テレビ取材を敢行しました。
ネタ元は、ズバリ、『妖怪ウォッチ』であります。



何もかもごくごく普通であることがコンプレックスの小学校5年生、天野景太(ケータ)氏によれば、
『本命チョコを追い求める時代は終わった!』と言います。
義理チョコ、トモチョコをはじめ、逆チョコ、自己チョコなど、
邪道ともいえる亜流の贈答チョコが氾濫している現代にあって、
その価値を追求することの困難さと非効率的な労力に、疑問を抱かずにはいられないと言うのです。

現実的な対応として、広く浅くチョコを収集することがベストな対応であり、
現代の男としてのステータスは、『義理チョコ』をいかに多く集めたかで決定されるとのこと。
もし、その中から、『義理チョコに見せかけた本命チョコ』を発見できれば、
この上なくチョー・ラッキーなのではないでしょうか、という意見でした。

その為には日ごろから、特にバレンタインデー直前には、『好感度アップ』を図ることが重要!!
これは現代の下克上であり、新時代の幕開けは好感度の天下を取ることにあると主張しておいででした。



目からウロコの貴重な意見を伺ったところで、がらがら仙人的にまとめてみました。
「下心がスッポンポンの丸出しモッコリでもいいじゃないか、
 バレンタインは、クリスマス同様に宗教とは少ししか関係ないのだから、
 公明正大に、ウニャニャニャ・ウニャニャニャ・ウニャーニャーニャーしようではありませんか!」




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2015年02月08日

がらがら仙人が、バレンタイン司教に問う

たかがチョコレートとおっしゃいますが、されどチョコレートなのであります。
がらがら仙人は、恨みとか絶望感から、モノ申しているわけではないのです。
ウィキペデイアで検索した結果、嘆かずにはいられないと言うことです。

『バレンタインデー』の起源や発展過程など、がらがら仙人にはどうでもいいことです。
ノーチョコレートという厳しい現実もさることながらに、
以下の記事を、バレンタイン司教はどう考えるのか!???
(ウィキをほぼ丸写しで転記)



サウジアラビアのバレンタイン:
サウジアラビア人の大半は近年までバレンタインデーの存在そのものを知らなかったが、近年の外国文化の流入によって一般的に認知されるようになってきた。
2004年2月にサウジアラビア最高位の宗教指導者であるアブドルアジズ・アール=アッシャイフがバレンタインデー禁止のファトワーを出した。「バレンタインデーは偶像崇拝を行うキリスト教の祝祭であり、アラーを崇拝するムスリムがこの祝祭を祝うことは許されない、神の怒りと罰をおそれこの祝祭を忌み嫌い否定することがムスリムの義務である」と表明した。このファトワーを受けて、サウジアラビアの宗教警察である勧善懲悪委員会はバレンタインデーはイスラムの教えに反するとして本格的な禁止措置に乗り出し、店頭からバレンタインデー関連の商品を撤去させたりしている。しかし、宗教的な禁止にもかかわらず多くの人たちがバレンタインデーを行い、いくつもの業者が商品を販売している。
2009年2月11日に勧善懲悪委員会の委員を務めるサッターム・ビン・アブドゥルアズィーズ王子がサウジアラビア国営放送に出演してバレンタインデーを祝うものには最高刑で死刑もありうると発言するなど、取締りの過激化へ向かう方向へ進んでいる(誤解を招く情報、且つ不適切な引用)。
このような経緯から、サウジアラビアではバレンタインデーは違法行為となっており、全面禁止されている。



がらがら仙人は、バレンタイン司教に問いたい。
こういうことだから、イスラム関連は怖いといわれるんだよね〜〜〜。
踊る阿呆に見る阿呆などと、のん気なことをいってられないじゃないのさあ〜〜〜。
もうチョコレートと関係なくなってない??!!
サウジアラビア人庶民のような『合理性』をがらがら仙人は持っていないので、
バレンタイン司教様のおかげで、またまたひとつ、悩みが増えちゃったじゃないのさあ。
げきおこぷんぷんまるですよ、どうしてくれんのかねえ。





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2015年02月07日

がらがら・バレンタインデー

『愛の戦士・がらがら仙人』が、
新潟の実家が浄土真宗大谷派というコテコテの仏教徒であるにもかかわらず、
チョコレートがもらえない悔しさとコンプレックスがあるにもかかわらず、
『愛の誓い』を、本日はお日柄もよろしく、やらしてみたいと思います。



まず、「イスラム国」による、「日本人誘拐殺人事件」に言及したいと思います。
この事件が、強権国家を標榜している安部首相に、イイヨウに利用されないか懸念していますが、
日本という国家の中で生活している・がらがら仙人に、明確な決意をもたらしました。

「テロ」あるは「戦争」、どう向き合えばいいのでしょうか。
極悪非道・冷酷無比・傍若無人・無理理不尽であり、究極に不幸なことではございますが、
目くじらを立てて、ヒステリックに無軌道に騒ぎ立てるだけでは、問題は解決しません。

氷を無くすには、氷を砕くことよりも、『氷を熔かすこと』を考えるべきです。
したたかに、粘り強く、『愛の道』を堅持することが重要になります。

つまり、『清水の次郎長』と『ナイチンゲール』の『合わせ技』が必要になります。

「敵」とか「味方」とかは、立場の違いでしかありません。
「敵を全滅させる」と言う考えは、妄想ですし危険ですし「抗争」のロジックに組み込まれています。

『清水の次郎長』の信念と『ナイチンゲール』の優しさを合わせて、
『マザーテレサ』のように、『大きな愛』に献身するのが、ベストな選択かと思われます。

たとえチョコレートがもらえなくても、がらがら仙人は『愛の道』を進むべきなのです。

あれっ、バレンタインデーは来週でしたが、勘違いして今日バレンタインのつもりで書いちゃいました。




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2015年01月01日

とりあえず、きんがしんねん

きんがしんねん.jpg
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2014年08月18日

整理・整頓

がらがら仙人は、半跏趺坐の姿勢(つまり、あぐら)で低反発性マットに座り、目を閉じました。
得意の、妄想たっぷりの黙想です。
そして、5分が経過し、不適な笑みを浮かべながら、目を開け、手打ちをしたのです。

そうだ、まずは、「捨てること」、そして「整理・整頓」だ!




がらがら仙人には以前から気になっていた、2つの書物がありました。

やました ひでこ 著 『断捨離』 と、
近藤麻理恵 著 『人生がときめく片付けの魔法』 です。



さっそく、アマゾンで購入です。
なになに、『断捨離』には、姉妹著『俯瞰力』と言う本もあるのか。
そうなんだよね、がらがら仙人に不足しているのは、「俯瞰する力」なんだよねえ。
これもついでに買っちゃえ。

そりゃそうさ、「人生」のノウハウを教えてもらうのに、イカツイタおやじに説教されたんじゃあ、
その時点で、即、くじけちゃいやすわね。
近藤麻理恵さんが本の帯カバーに印刷されているのだけれど、
ふくよかで優しく、昭和のAKBみたいな笑顔で、指導を仰ぎたいものですよ。
がらがら仙人がオイタをしたときは、かわいく、「ぶちますよ!」と、たしなめてほしいのですよ。

『断捨離』はベストセラーになって、気になっていた言葉でした。
「仏舎利」と言えばお釈迦様の骨のことで、ご飯のことを「シャリ」と呼ぶ由来は、そこからきています。
「断捨離」は造語のようですが、「仏舎利」に引っ掛けてあるような気がして、奥が深そうなんだもの。



そういうわけで、「がらがら仙人・改造計画」の教科書が、3冊プラスされたのでした。






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2014年08月17日

遥かなる・がらがら仙人 そのじゅう

「がらがら仙人・暗殺計画」ではなく、
「がらがら仙人・修繕計画」でもなく、
「がらがら仙人・松岡修造計画」でもなく、

「がらがら仙人・改造計画」のショートコーナー、「遥かなる・がらがら仙人」を閉めるに当たり、
誤解を覚悟で、一節(ひとふし)申し上げたい。

「超能力」を例にとると説明しやすので、「超能力」を例にします。




人間の思考は、経験を元に構成されるので、
「超能力」がないことの証明は難しいですが、
存在することの証明は、実際にそれを体験すれば議論は無意味となり、議論は終わります。
自分が「超能力」を使えるならば、不毛な議論は終結し、次の課題に進めばよい。
そういう意味で、がらがら仙人は、自分が「超能力」を使えたらいいのになあと考えます。




ここから少し内密な話になりますので、周りに人がいないことを確認してください。会話は小声で。
がらがら奥様は、「??超能力・大好き美魔女??」なのですが??、
頼みますから、批判だとか忠告だとか意見だとか決め付けないでほしいのですが、、
横目でチラチラ様子を伺った限りでは、がらがら仙人が思うに、

がらがら奥様は、「ものぐさ」だから、「超能力」を求めてしまうんです!!
がらがら奥様は、「短気」だから、    「超能力」を求めてしまうんです。
がらがら奥様は、「わがまま」だから、  「超能力」を求めてしまうんです。
がらがら奥様は、「自己中心」だから、  「超能力」を求めてしまうんです。
がらがら奥様は、「脳が調子よく回転しない」だから、「超能力」を求めてしまうんです。
がらがら奥様は、「神様を信用していない」だから、「超能力」を求めてしまうんです。
がらがら奥様は、「自分の境遇に不満だらけ」だから「超能力」を求めてしまうんです。
がらがら奥様は、「旦那の甲斐性に不満だらけ」だから「超能力」を求めてしまうんです。

これは、自分の弱点に気付こうともせず、問題の核心部分を避け、課題を先送りにしようとする、
狡猾ではありますが、愚かな、見え透いた、田舎芝居なのではないでしょうか。
( お〜〜こわ。このイヤな脂汗はなに!? )




「超能力」の名誉のために、とあるそのスジの方の意見を紹介します。

みなさんは、「超能力」を、なにか特別の現象のようにおっしゃいますが、
よくよく考えると、それは、「人間の能力の延長」であることに、気付かれると思います。

壁の向こう側が見える、それは「透視」という「超能力」ではありますが、
壁を壊せば、それは見えるんです。

たとえば、埼玉から北海道まで、「テレポテーション」という「超能力」で、一瞬で行ったとします。
けれど、皆さんが1ヶ月バイトし、稼いだお金で、飛行機を使い4時間かけて、北海道に着いたとしましょう。
目的と結果を照合してみれば、それは同じことです。

「超能力」は、通常必要とする多くのプロセスや時間を節約できるかもしれませんが、
それは便利であるのかもしれませんが、
そんなことは、皆さんの人生で、どれだけ意義を持つのでしょうか、
皆さんの魂の成長にどれだけ貢献していると言うのでしょうか。
皆さんはすでにその能力を持っているのですから、「超能力」に、こだわる必要はないはずです。

・・・・・がらがら仙人はわかったような、ゴマカサレテイルヨウナ・・・・・





ともかく、「がらがら仙人・改造計画」では、具体策を講じ、実施されねばなりません。











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