2015年02月13日

バレンタイン・イブ

本日は、サイレントナイト・ホリーナイトですので(?)、しめやかに(?)、彼らを語ろうと思います。
イブの夜長、ひさしぶりに、長編にしちゃおうかな〜っと。



あまりにも当然ですが、がらがら仙人は『清水の次郎長』に会ったことがありません。
あまりにも当然ですが、がらがら仙人は『ナイチンゲール』に会ったことがありません。
あまりにも当然ですが、がらがら仙人は『マザーテレサ』に会ったことがありません。
物語や伝記や逸話などを、断片的に間接的に見聞きするだけです。
けれども、けれども、彼らのことを、がらがら仙人は語らずにはいられません。不作法をお許しください。



清水の次郎長は、本名、山本長五郎。文政3年(1820年)清水市美濃輪に生まれました。
儀父の後を継ぎ、相場でもひと儲けしてその才能を現した若き日の次郎長でしたが、
20歳のとき、ある旅の僧から25歳の寿命との予言を言い渡されます。
次郎長は、自らの運命を呪うかのようにはみ出し、家をとびだして侠客の道へ身を投じて行きました。


およそ喧嘩か博打に明け暮れながらも刀の腕と度胸は鍛え抜かれ、次郎長26歳のとき、
甲州津向の文吉と、駿州和田島の田左衛門の、河内の大ゲンカを仲裁したことをきっかけにその名を売り、
いちやく侠名人の仲間入りを果たしました。
刃物も切れれば、頭もきれる。筋も通せば義理も固い。そんな次郎長に惚れてついた者も数知れず、
いつしか子分衆が千人にも及ぶ、東海きっての大親分となっていったのです。

有名な話に、「咸臨丸の事件」があります。
時は明治元年(1868年)、徳川幕府の軍艦「咸臨丸」が新政府の攻撃によって清水港内で沈没しました。
新政府からの懲罰を怖れ、近隣の誰もが見て見ぬふりをしていたなか、
次郎長は傷つく徳川方の軍人を官軍の目の届かぬよう密かに逃がし、
また湾内に浮遊する屍を拾い集め、手厚く供養し葬ったのです。

これらの行為が新政府の耳に止まり、出頭を命令され、詰問を受けましたが、
「死ねば仏だ。仏に官軍も徳川もない。仏を埋葬することが悪いと言うのなら、俺はどんな罰でもよろこんでお受けします。」と答えたのです。
このいきさつを聞いた山岡鉄舟は、
ただの博徒に過ぎない次郎長が、一番高いところからものを見ているとして、いたく感服し、
親交を結ぶようになりました。
また次郎長も自分より17歳も年下の鉄舟に心酔し、数多くのことを学び大きな感化を受けたのでした。

次郎長はその後、様々な社会活動を行いました。
有度山(清水市)の開発、三保(清水市)の新田開拓、巴川(清水市)の架橋、などの地元事業のほか、
遠州相良(榛原郡相良町)で油田の発掘事業にも携わったり、富士の裾野(現富士市大淵次郎長町あたり)の開墾にも着手し、自らも鍬を握りました。
また開墾のかたわら、「これからは外交の時代だ、言葉ぐらい話せなくてはいけない。」と、
明治9年に清水に英語教師を招いて若者の英語教育を始めたました。
さらに、蒸気船の必要を力説し自らも所有し、清水港とその発展にも尽力しました。
晩年は、いつも懐に菓子を持ち子供に与え、金を持てば困った人にくれてまわる毎日だったといいます。
明治26年6月12日、次郎長は74才でその生涯を終えました。
遺骸は、妻のお蝶、大政、小政ら子分たちの墓に守られ、静かに清水市梅蔭寺に眠っているそうです。



ナイチンゲールは、クリミア戦争のときに、敵味方の区別なく看護に献身したとされ、チョー有名。
看護士の理想像とされています。
病院の衛生化近代化にも尽力し、病院での死亡率を劇的に減少させることに成功しました。

がらがら仙人は小学生の頃、「女だから〜〜〜ナイチンゲール〜〜〜」などと、
どうしようもなく不謹慎極で幼稚きわまりない発言をしていましたが、もう取り返しができません。
罪滅ぼしにもなりませんが、ナイチンゲールのご苦労を偲びたいと思います。 

ちなみに、クリミア戦争は1853年(つまり、清水の次郎長が生誕する15年前)から1856年の間、
クリミア半島・カムチャツカ半島などを舞台に行われた戦争です。
フランス・オスマン帝国・イギリスの同盟軍と、サルデーニャ・ロシア軍が戦い、
近代史上稀にみる大規模な戦争となってしまいました。

フローレンス・ナイチンゲールは、イギリス人の両親が旅行中に、トスカーナ大公国の首都フィレンツェで生まれました。
幼少期は、非常に高い水準の教育を受け、複数の言語を自在に操り、ギリシア哲学や、数学、統計学、天文学、経済学、歴史、美術、音楽、絵画、地理学、歴史学、心理学といった勉強まで、十分な教育を受けて育ちました。
しかし、慈善訪問の際に、貧しい農民の悲惨な生活などを目の当たりにするようになり、
徐々に人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになっていったのです。

ナイチンゲールは、母親に反対されながらも、無給でロンドンの病院へ就職することになりますが、
当時、看護婦は、病院で病人の世話をするだけの専門知識も必要としない下女の仕事とされていました。
そして、クリミア戦争が勃発し、前線での負傷兵の扱いがとても悲惨であることが伝えられるようになり、
ナイチンゲールも自ら看護婦として従軍する決意を固めます。

戦時大臣の依頼で、ナイチンゲールはシスター24名、職業看護婦14名の計38名の女性を率いて、
後方基地の病院に到着しますが、兵舎病院は極めて不衛生で、必要な物資も供給されていませんでした。
さらに現地の軍医長官らは、ナイチンゲールらの存在を快く思わず、看護婦団の従軍を拒否してしまいました。
そこでナイチンゲールらは、病院の便所掃除がどの部署の管轄にもなっていないことに目をつけ、
まず便所掃除を始めることによって病院内へ割りこんでいきました。
次に、管轄が曖昧で人手がなかった衣類の洗濯を引き受けましたが、
これにより清潔な衣類が得られ、野戦病院の清潔が保てる環境が次第に改善されていきました。
ナイチンゲールの一途な仕事ぶりと、相手が誰であろうと直言を厭わない果敢な姿勢もあって、
病院での兵士の死亡率は急激に改善されていきました。
そして、それらは、徐々に軍医長官にも認められるようになっていったのです。

けれど、それらは、試練の始まりでしかありませんでした。

病人・怪我人の大群が雪崩込んでくれば、彼女は24時間不眠で立ち働き、
怪我人に包帯をするために、8時間もひざまずいたままだったこともあります。
ランプを片手に、夜も患者たちの見回りを続けました。
ある年の冬は、2000人もの患者の臨終に付き添うことにもなりました。

けれど、「白衣の天使」ナイチンゲールの功績は、その献身的な看護だけにとどまりません。
かつて学んだ統計学を用い、病院の状況分析や数々の統計資料を作成し、
改革を目的とした各種委員会に提出するなど、やがて、保健制度および陸軍全体の組織改革にもつながったのでした。

ナイチンゲールは、
『愛というのは、その人の過ちや自分との意見の対立を許してあげられること。』
と、慈母観音様のような優しさと寛容を示しながらも、
『天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。』
と、ジャワハルラル・ネルーが娘にあてた手紙と共通の意見を述べています。
けっこう気丈な、不動明王様のような発言もなさっていたのです、ね、わーい(嬉しい顔)




マザーテレサについては、ノーベル平和賞をもらうまで、がらがら仙人は彼女の存在を知りませんでした。
日本には、1981年4月、1982年4月、1984年11月と3度も訪日してくださったのに、
そんなニュースもまったく存知上げなかった次第です。

がらがら仙人がマザーテレサ様に興味を抱かさせていただくことができたのは、
長女が、マザーテレサ財団でボランティアやるんだとぬかしてインド旅行に行ったときと、
どなたかの著書で、マザーテレサの活動を知ったときです。

マザーテレサは、インド・カルカッタのスラム街の中で、最も貧しい人の中で働くことを選択しました。
「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」、
啓示を受けたからとも言われていますが、マザーテレサは、その選択をしたのでした。

がらがら仙人は、1週間くらい悩みました。

マザーテレサは、死にかけた「飢えた・裸の・家のない・体の不自由な・病気の・必要とされることのない・愛されていない・誰からも世話されない」人、に出会ったとき、
ホスピスに引き取り、体を清め、貧しい中で最善の手当てをし、時には手を握り、祈り、
彼らの最後に付き添ったというのです。
それって、どういうこと?なんのために?どんな価値があるの?どんな利益があるわけ???

がらがら仙人の結論は、、、、、それが『愛』だからです。

神様に言われたからするわけではありません。
人間として立派な行為だから、そうするわけではありません。
価値があるから、利益があるから、目的があるから、そのためにするのではありません。
『愛』のためにするのではありません。!!!
無私の奉仕でもありません。!!!

がらがら仙人の結論は、、、、、それが『愛』だからです。

がらがら仙人の理論によれば、『愛』は『寛容』を生むし、
『愛』から『チョコレート』が発明されたのです。!

マザーテレサ様は、記者のインタビューの中で、
「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」との質問に、
「家に帰って家族を愛してあげてください」などと万人うけする答えをしておりますが、
どうしてどうして、(敬愛と親愛を込めてあえてこう表現しますが)、
この食わせ物のおねえちゃんは、!、こんなきついことも言っています。

『もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、
 それは神がその人たちを
 愛していないからではなく、
 あなたが、そして私が、
 与えなかったからです。』   がく〜(落胆した顔)がく〜(落胆した顔)がく〜(落胆した顔)

今日のブログを書くにあたりインターネットを調べてみましたら、
マザーテレサは、じつは心に深い闇を抱えていた、と言う記事もありました。
けれど、もしそうだとしても、そのことは彼女の価値を少しも傷つけるものではありません。
むしろ、心に深い闇を抱えていてそのような行為ができたとしたら、更なる称賛に値すると思います。

『愛』は、人間が未熟であったとしても、罪深くあったとしても、それらを凌駕して存在します。
『愛』に臆病になる必要はないのです。

ですので、がんばってねーーー小中学生のみんなーーー、勇気を持ってチョコレートをあげるんだーーーよ。





posted by GARAGARA-SENNNINN at 00:00| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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