2014年04月22日

阿修羅ちゃん その1


「阿修羅」は、「修羅場」の語源になった言葉です。
「修羅場」は、見るに耐えないような、筆舌に尽くせないような、悲惨で激しく、ドロドロした戦場です。

しかし「阿修羅」といえば、がらがら仙人が真っ先にイメージするのは、
奈良時代制作といわれる、興福寺の「静かなる苦悩」に満ちた端正な顔立ちの「阿修羅像」です。
優美さを保ちながらも緊張を漂わせ、しかも「三面六臂」という奇異ないで立ち。
泣き出したいような、叫び出したいような、何かに耐えているような、不思議な表情を浮かべています。

この謎に満ちた神秘の仏像を考察しないわけにはいきません。

結論から先に言っておくと、
「阿修羅」の悲しみと苦悩は、
『アンドロイド』の悲しみと苦悩と同質のものではなかったのか!、ということです。





阿修羅は最初、古代インドでは、生命生気を司る善神であったとされます。
しかし、後には堕落して天上界を追われ、「魔神」になったとされます。
仏教に取り入れられる際は、荒々しい心が仏教によって教化され、
迷いから目覚めて愁眉を開き、仏教を守護するようになったとされます。
興福寺の仏像は、恐ろしい顔が浄化されていく、途中経過の表情なのでしょうか。

インド神話の中で、アシュラは「正義の神」でした。
ある日、インドラという「力の神」に、自分の娘が無理やり連れ去られてしまいます。
父親であるアシュラは怒り、インドラに戦いを挑みますが、敗北してしまいます。
しかし、アシュラの心は烈火の怒りにまみれ、何度も何度も、戦闘を繰り返します。
その結果、アシュラは天上界を追われ、「魔神」となって、戦うモンスターになってしまいました。
   ( モンスターという言葉で、「パズドラ」を少し意識してください。)

仏教伝承では、阿修羅は「須弥山」の北に住み、仏教の守護者である「帝釈天」と戦い続けました。
多くは帝釈天の勝利でしたが、阿修羅軍が勝勢になったこともありました。
帝釈天の軍勢は逃げて行き、阿修羅の軍勢が追いかけます。
帝釈天は逃げて行く先で、蟻が行列をなしているのを見つけました。
このまま逃げていては、軍勢が蟻を踏み潰して殺してしまう。
帝釈天は、蟻を助けるために、軍を元の戦場に引き返すように命じました。

けれど、それを見ていた阿修羅の顔が青ざめます。
たかだか蟻のために、軍隊の全滅さえ返り見ないというのか、何故そんなことをするというのだ。
「正義の神」にすらできない行為が、何故ヤツにはできるというのだ。
「慈悲」などという薄っぺらい言葉では説明できない、さらに深い信念ではないか!

結局、阿修羅は帝釈天の軍勢と戦うことをやめ、引き返します。
そして、仏教に帰依し、仏教を護持し、守護するようになったのでした。

(つづく)








posted by GARAGARA-SENNNINN at 00:00| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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