2013年08月02日

がらがら仙人の、つぶやき




そろそろ、ブログの放置プレーをやめようかなあ。

















posted by GARAGARA-SENNNINN at 00:31| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月03日

がらがら仙人の、ぼやき




半年以上、ブログの放置プレーを続けてみましたが、
つまり、ブログの更新をずう〜〜〜〜〜っとサボってみましたが、
特別いいことはありませんでした。
めくるめく快感もありませんでした。
ヤフー検索なんか、ひどいんですよ、『がらがら仙人』で検索しても、
『がらがら仙人』がヒットしなくなりました!!!
抹消されてしまぅたのかな〜〜〜〜〜もうやだ〜(悲しい顔)

まあいいです、いっそのこと、『隠遁ブログ生活』に切り替えるつもりですから。






posted by GARAGARA-SENNNINN at 00:57| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月04日

がらがら仙人、小さな声で

がらがら仙人の愛すべき孫太郎くんは、5歳の七五三を無事に終え、もうすぐ6歳になろうとしています。
(孫次郎くんも、3歳半ばですくすく成長進行形。)

じつは、がらがら仙人が今の孫太郎くんの年頃に、ひとつの野望が芽生えていました。
「いつか、『悟り』の本を書いてやるんだ。」
し〜〜〜っ、声が大きい。

子供心に、どうして、世間一般のみんなは悟りを求めないのか、不思議に思ったものです。

当時はもちろん、『がらがら仙人』という芸名を自分に付けるとは、夢にも思っていませんでしたが、
もちろん選択は読者の側にありますが、
悟りを開きたいと真面目に思った人が読むと、「あれっ、悟りを開いちゃったぞ。」となるような、
そんな、『悟りの本』を書いてみたいなあと、幼児・がらがら仙人は考えていました。

あれから幾年月、半世紀、50年の時を経て、
大人の事情も、いくらかは理解できる年代になりましたが、
やっぱりその、『悟りの本』を書きたいという思いは、今も残っています。

『がらがら仙人流・悟りの本』を読んで、間違って悟りを開く人が出てきたとしたら、
そんな人が世の中に一人でも出現すれば、大成功ですよねえ。

メジャーで出版したいけど、ダメなら自己出版、それもダメならインターネットの情報販売で出版、
それもダメなら、最低、『ブログのまんま』という手もあります。

メジャーからオファーがあればいいなあと思っていますが、
世の中に悟りを開く人が多数出現すると民衆をコントロールできなくなるので、
地球の裏組織から命を狙われる危険性もあると思っていますが、
そんな心配はまった無用、『がらがら仙人流・悟りの本』なんて、たかが知れてますかねえ。

まあ、そんなこんなで、ぼちぼち、気が向いたら、
『悟り関連』も、がらがら日記のテイストに加えていきますんで、よろよろよろしく、ね。






posted by GARAGARA-SENNNINN at 02:16| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月06日

さっそく、がらがら仙人流・さとり入門  〜 「悟りって、何だ!?」〜


悟りを開くとは、ずばり、『真我』に目覚めることです。
「真我って、何だ!?」
真我とは、ずばり、本当の自分、それは生命の本源です。
「生命の本源て、何だ!?」
生命の本源とは、宇宙を作り、生命を育む(はぐくむ)英知のことです。




人類は進化を続け、「個」を確立し、「自我」に目覚めました。
しかし、進化としては、まだ途中です。
「自我」を支えている生命の本源である『真我』に目覚める必要があります。

なぜなら、「自我」こそがアマタのトラブルを作り出し、
「自我」は、「自我」の力では、全てのトラブルを解決できないからです。

「自我」は悪者ではありませんが、非難めいたニアンスを込めて、「エゴ」とも呼ばれます。
「エゴ」はその性質上、その性格上、宇宙全体の生命の調和を造る能力を持ちえません。

「自我」とは何か!?
個人の「脳コンピュータ」の活動によって形成された、「思考の集積」であります。
がらがら仙人を含め、現代人のほとんどが、この「思考の集積」に操られている「迷える子羊」な訳です。

本当の自分は『真我』なのに、「生命」の主体は『真我』なのに、
『真我』に気づきその指導を生きれば、宇宙の英知と生命の豊かな恵みが得られるというのに、
『真我』はお人好しなのか冷たいのかよくわかりませんが、
自我の自由意志を尊重し、自我が悟りに目覚めてくれることを待っているという次第です、はい。




いちおう、がらがら仙人は、50年かけて、こういう理論(仮説!?)を構築してみました。
いちおうエンジニアの端くれでもあるがらがら仙人は、検証作業も怠ってはいませんし、
もし理論の欠陥が示されれば、修正や改造もヤブサカではありません。
いちおう文筆家の端くれでもあるがらがら仙人は、もう少し補足し肉付けをして、
この理論の信憑性を世に問いたいと考える次第です。   わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)





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2013年08月11日

もうかりまっか 〜〜がらがら仙人龍さとり〜〜 


姑息ではありますが、英訳された時のことを考え、
がらがら仙人『流』を、『龍』に変更してみました。
英訳すると、『ガラガラセンニン・ドラゴン・サトリ』となって、
ちょっと、かっこいいかなあ〜〜なんて。

この章では、悟りを開くメリットについて考察します。

現代人は「そろばん高い」んですよ、甘く見てはいけません。
どんな利益が見込めるのか、それによって、悟りを求める人間は、かなり変動します。
おいしいことを言っとかないと、なかなか食いついてはくれません。

大風呂敷を広げましょう。
私の聞いた話では、悟りを開くと、『物質的なもので、手に入らないものはなくなる。』
ということです。

我々の住む3次元宇宙・物質世界は、経験からも堅固に見えますが、
実は「因と縁」によって形成される一時的な仮の姿なんです。
悟りを開くことは、本源的な、宇宙を形成する英知と繋がることですので、
理論上は、悟りを開いた人が望むものは、全て、手に入れることができるというものです。

物質的なものでどうしても手に入れたいものがあったときに、
脳コンピュータをフル稼働させてもそれがどうしても手に入れられないときに、
悪魔に魂を売ってそれを手に入れるか!?、
悟りを開いてそれを手に入れるか!?、
悩ましいなあ、思案のしどころかも知れません。  わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)






posted by GARAGARA-SENNNINN at 02:52| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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